H I B I K A

日々考えていることを綴っていきます。

今日は団子を買ってきた。嘘についての話。

今日は私は団子を買ってきた。なぜかと聞かれればスーパーにて半額で売っていたからという以外に特に理由はない。三本入りのあんこの櫛団子だったが、甘くて一本残してしまった。

 どうして私はこんな書き出しをしたかというと、面白い話を書きたいと思ったからだ。今までの私の文章は何の面白みもない、読者の事を考えないただの自己満足でしかなかった。たしかに、ここは自分自身の考えを発露するための場として活用していたが、それでも読んでくれる人が楽しめるように工夫することを怠る理由にはならない。それを重視するあまりに内容がおろそかになって、俗的な内容になっては意味がないが、多少意識する程度はばちなど当たらないだろう。

 

 

 最近は女性と付き合う機会があり、初めて彼女ができた。しかし、女性にだらしのない私はあえなく嘘をつく羽目になった。その際私のつたない嘘は即刻ばれてしまい、壮絶な喧嘩の幕開けとなり1か月間この戦争のような日々が続いた。付き合った相手方の女性が怒りっぽいというか、怒りが長続きするタイプだったらしくどうにもならなかったのだ。ここで私が反省したのはもちろん自分の不誠実さである。そして次に反省したのはうその下手さ加減だ。嘘とはいったい何なのか。どうすればウソがばれないのか。この一か月間ずっと考えていて、ついに結果らしき結果が見えてきた。

 まず最初に考えたのが、嘘をつくときは一定の割合で真実を混ぜることが必要だということ。比率としては真実:嘘が8:2くらいが理想だが、そんなにうまくはいかないだろう。真実:嘘が5:5くらいになってくるとだいぶウソがばれやすくなるのではないかと思うので実際にはここに注意することが必要になってくる。100%嘘で、それをうまくつきとおすことができる人間は非常に才能があると言っていいだろう。

 次に思ったのが、態度に出さないこと。態度に出してしまってはやはりばれてしまうものだ。どうすれば態度に出ない自然なふるまいをできるかと考えた結果、自分をだますということが大切になってくるという結論に行き着いた。自分をだますとは何かというと、自分にその嘘を信じ込ませるのだ。つまり信じ込んだ自分、つまりはその嘘が本当であった場合の自分を想像することが必要だ。そしてそのことを自分に思い込ませる。嘘はついていない状態がであるということが真実であると自分が信じ込んでしまえばどう行動すれば不自然ではないかが簡単に想像できる。

 そして最後に思ったことは、できる限り嘘をつかないことだ。もちろん嘘は方便でつき方によればいい結果につながることもあるかもしれない。しかし、嘘とは基本的に信頼を下げる行為であることにほかならない。一度下がった信頼性を回復させるのは難義であり、そのリスク・コスト・メリットを考えて、それでもつく必要のある嘘だけつくのが良い。嘘をついている間はそのことに脳のリソースを割くことになるので生産性が落ちること請け合いである。それならばくだらないところでは嘘をつかずに正直に生きた方が楽であるだろう。今回の私の事件を通じて感じたのはこういった思いだった。

 

あとがき

正直に生きてた方がいいね。一時は嘘ついた方が楽だけど、それを維持できないようなら嘘なんかつくもんじゃないね。彼女に首絞められたり殴られたりして散々な目にあったからもう嘘はつきたくない。こりごりです。

まあ最近更新できてなかったのはそんな理由があったからだから大目に見てね!(嘘)