H I B I K A

日々考えていることを綴っていきます。

女子高生は無限である!

 

 、というセンセーショナルな見出しで話を始めてみようかとおもう。この話は大学1年のころの夏に友人たちに話したところ、6人中1人だけに共感をしてもらった話だ。

 端的にいうとタイトル通り女子高生は無限大だ!ということを発見した、個人的には世紀の大発の物語だ。

 

 

 想像してみて欲しい。夏の熱い日、クーラーが効いていてそこそこ空いている電車の車内。あなたはリラックスしながら座っている。電車は緩やかに停車し、空いたドアから生ぬるい風が吹き込む。それと共に入ってきたのはあなた好みの女子高生だ。ショートヘアかもしれないし、つやの美しいロングヘアかもしれない。とにかく、めまいを起こしてくらくらしてしまうほどの超絶美少女だ。そんな彼女はあなたの向かいの席に座る。まるで自分と彼女だけの空間であるかのような錯覚を覚えたまま自分の目的の壁へと到着してしまう。

 

 私はこの時世界の終わりかのような絶望を感じる。一期一会の出会いともいえぬ出会いであり、もう絶対にこの後に巡り合うことはないのだと確信してしまうからだ。降りてからしばらくは彼女の事を思い続けて、そしてそのうち消えてしまう。そう考えるとさみしさのような、一つの可能性の終焉を感じずにはいられないのだ。自分が大人になっていくようにその場にいた彼女は彼女の人生を全うしてそのうち老いていく。それと同様にその時その瞬間、光の具合や電車の空気、夏の暑さと車内のクーラーそして彼女の美しさ。そうしたすべてのファクターに彩られたその「瞬間の美」という体験は自分の海馬の中で沈殿し、やがて消えてしまう。悲しいなぁ、その瞬間の感動はもう訪れないのかなという思いが自分を覆いつくしてしまう。しかしそうではないのだ。 

 

 今回の話の趣旨手あるように、女子高生ひいては人間とは無限なものであるのだ。どんどんと生み出されていき、どんどんと女子高生となっていく。女子高生は無限大に消滅していき、また無限大に生まれてくるのだ。そう考えると日本の高等教育という制度に感謝せずにはいられない。この制度と、人間がいる限り(少子化の話は置いておくとして)女子高生は生まれ続けるのだ。そうすると、私が何歳になってもこの感動を味わい続けることができる、しかも無料でだ。すばらしすぎる。この世界に感謝せざるを得ない。ありがとう。

 

あとがき

個人的には今世紀最大の発見だと言わずに入られないのだが、どうしても私は口下手でうまく表現できない。まあこの記事を読んで新たに希望を見出してくれれば書いた甲斐があるというものだ。