H I B I K A

日々考えていることを綴っていきます。

二種類の人間と社会

 

 日々何かになりたいともがいている私ではありますが、何にあこがれているのかと考えたときふと二つの選択肢があることに気づいてしまった。今日はその大発見を記したいと考えている!刮目してお読みください!
 

 

 
 
というくっそ適当な誇大広告を文面に書き出して始まってしまった今回の記事。いかにして収束させるか、はたまた放り投げるかを見ていただきたい。
 
 私が将来なりたい自分の姿を思い描くと、基本的には次の二つのような人物像が現れる。圧倒的才能で他を寄せ付けない人間と、人格の良さで人を惹きつける人間。あえて言えば、反発を呼び起こす人間と人を惹きつける人間の二種類だ。そして、この世の中で成功者やよいとされる人間はこの二種類に分類される。
 多くの天才と呼ばれる人間、例えば今話題のドナルド・トランプ氏やスティーブ・ジョブズ氏などは前者にあたる。人並み外れた力を持っていて、それらが追随する他者を跳ね飛ばして捻りつぶす。個人的にはこんな人たちに憧れを抱いているが、やはり届かない。小賢しいだけの頭の回転速度なんてのは役に立たず、何かを生み出すことのできるクリエイティブな脳が必要になる。しかし、やや独善的で自己中心的な考えが根本にあるため他人との協調には向かないだろう。ただそれゆえに、成功への道をノンストップの最短距離で走りぬくことができるのだろう。
 一方、後者の人を惹きつける人間とはいわゆる「イイヤツ」である。クラスに一人いたかいないかの、誰に対しても分け隔てなく公平に接することのできる人間がそれだ。これも一種の先天的な能力ではあると思うが、いくらかなら修練をすることで身につけられると考えられる。これが流行りのリーダーシップと呼ばれるものだと考えている。研究もされているし、その成果を学べば習得もできる。しかし、前者に比べるとイノベーションや開発発見には向かないと考えられる。
 前述しているが私は前者のような人間になりたい。しかし、前者のような人間はこんな考えすら持っていないほどに天才なのだ。自分の好きなように生きていたらいつの間にか結果がついてきてしまった。未来像なんてものは無く、自分の興味関心の赴くままに生きている。しかし、根本的に今の社会というものは自分のやりたいこと(夢)をあきらめなければいけない時代だ。好きなことをやっても許されるは許されるが責任はとらされる。そうなれば人々は縮こまって生きていかなければいけない。その縮こまりを脱出できた人間が、報酬として成功者になっているだけの話かもしれないのだが。
 これから人工知能やロボット、IoTなどが発展していく過程で人間の仕事はなくなってくる。ただ、それは雇用の喪失を意味するのではなく人間の余暇の活動が増えることを示す。古代ローマから何か革新的なことを思いつくのは余暇のある人間であるとされている。労働していて、何かに追われる毎日では何も考えることすらできないのだから。こうした余暇の保証があれば人のアイディアはどんどんあふれてくるのではないだろうか。そうした社会をいち早く実現した国家がこれからの世界のトップへと躍り出てくるだろう。